ドングリ隊長のひとりごと
最近何かと逆風が吹きつける福祉施設に勤めるなかで感じた人々の不思議について、 肩肘張らずに考えてみたいと思います。
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追悼 Mさん
容態が悪かったMさんが亡くなった。
前日に見舞い顔や手を清拭した。幾分気持ちが良かったのか優しい表情になったところを見て、自分自身がMさんの死が近いことを納得したかったのだろう。翌日の深夜に携帯に連絡があり直ぐに病室に向かった時には、まだMさんの温もりがあった。“やっとゆっくりできるね”と声をかけ体をさすった。まだ健康だった頃のMさんの寝顔だった。
遠方に居られるご家族に連絡をとり、高齢のご両親の依頼を受けて当地で家族葬を行うことにした。お父様は“小さな頃、自分がMを連れて施設に預けにいった。Mはおいていかれるのが分かったのか、私のバックを掴んで離さなかった。本当に不憫だった。私もとても辛かった。年に何度かの面会で腹一杯食べさせてやるくらいしかできなかった”と、これまでのMさんとの思い出を話してくれた。お母様は長旅の疲れも重なり座っているのがやっとの様であったが、お父様の話に時折大きく頷いては目頭を押さえていた。
90歳近い年齢のご両親が地元に帰られる際、“本当にお世話になりました。どんぐりさんも体に気をつけて”と気遣いしてくれた。小さかったご両親の背中がさらに一回りも二回りも小さく見えた。
人は必ずいつか死を迎える。逃れられないものだがそれまでにたくさんの人生がある。Mさんの60数年の人生の意味は何だったのか。ご本人にとって、ご家族にとって、私たちにとって.......
もし生まれ変わる事があるならきっと.......と考えてしまう
Mさんのご冥福を祈ります
前日に見舞い顔や手を清拭した。幾分気持ちが良かったのか優しい表情になったところを見て、自分自身がMさんの死が近いことを納得したかったのだろう。翌日の深夜に携帯に連絡があり直ぐに病室に向かった時には、まだMさんの温もりがあった。“やっとゆっくりできるね”と声をかけ体をさすった。まだ健康だった頃のMさんの寝顔だった。
遠方に居られるご家族に連絡をとり、高齢のご両親の依頼を受けて当地で家族葬を行うことにした。お父様は“小さな頃、自分がMを連れて施設に預けにいった。Mはおいていかれるのが分かったのか、私のバックを掴んで離さなかった。本当に不憫だった。私もとても辛かった。年に何度かの面会で腹一杯食べさせてやるくらいしかできなかった”と、これまでのMさんとの思い出を話してくれた。お母様は長旅の疲れも重なり座っているのがやっとの様であったが、お父様の話に時折大きく頷いては目頭を押さえていた。
90歳近い年齢のご両親が地元に帰られる際、“本当にお世話になりました。どんぐりさんも体に気をつけて”と気遣いしてくれた。小さかったご両親の背中がさらに一回りも二回りも小さく見えた。
人は必ずいつか死を迎える。逃れられないものだがそれまでにたくさんの人生がある。Mさんの60数年の人生の意味は何だったのか。ご本人にとって、ご家族にとって、私たちにとって.......
もし生まれ変わる事があるならきっと.......と考えてしまう
Mさんのご冥福を祈ります
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