ドングリ隊長のひとりごと
最近何かと逆風が吹きつける福祉施設に勤めるなかで感じた人々の不思議について、 肩肘張らずに考えてみたいと思います。
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あと1週間
09年1月25日(日曜日)は第21回介護福祉士・社会福祉士国家試験です。
私の職場からも数名が両福祉士の資格取得を目指して受験します。
あと1週間、あせらずに体調を崩さぬように当日に向けて睡眠と栄養を十分に取って頑張ってください。
資格を取得する理由はいわゆる“専門性”を担保するための1つの手段でしかありません。その後現場での実践が結果として当事者さんの利益に還元されなければならないものです。
日々の業務をこなしながら受験に備えて学習することがどれだけ大変なことか。ですが現場を経験しているからこそ受験に有利な側面もあるのです。
(※最近の演習問題はそういった内容が多いように思います。)
当事者や家族との関係に悩んだとき、
自分の仕事が漫然としてきたとき、
周囲との軋轢が生じてきたとき、
諦めずに受験に向かっていた自分の姿が活きてくるような気がします。
頑張れ! 君たちに“応援歌”を2曲送ります。
“応援歌” (THEイナズマ戦隊バージョン)
“応援歌” (湘南乃風バージョン)
私の職場からも数名が両福祉士の資格取得を目指して受験します。
あと1週間、あせらずに体調を崩さぬように当日に向けて睡眠と栄養を十分に取って頑張ってください。
資格を取得する理由はいわゆる“専門性”を担保するための1つの手段でしかありません。その後現場での実践が結果として当事者さんの利益に還元されなければならないものです。
日々の業務をこなしながら受験に備えて学習することがどれだけ大変なことか。ですが現場を経験しているからこそ受験に有利な側面もあるのです。
(※最近の演習問題はそういった内容が多いように思います。)
当事者や家族との関係に悩んだとき、
自分の仕事が漫然としてきたとき、
周囲との軋轢が生じてきたとき、
諦めずに受験に向かっていた自分の姿が活きてくるような気がします。
頑張れ! 君たちに“応援歌”を2曲送ります。
“応援歌” (THEイナズマ戦隊バージョン)
“応援歌” (湘南乃風バージョン)
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社会福祉援助現場実習について
つい先日、今年度最初の社会福祉援助現場実習が終了した。
これまでも何点かの課題を抱えながら携わってきたが、施設=組織として学生を受け入れることに意義を見いだしているかといえば疑問の残るところ。“そんなことに執着している暇はない”と云う管理者からは、自ら職員養成・教育の責任を放棄している様子が伺われる。スタッフ養成や施設の社会的意義を再認識するには、いずれこの業界に来る可能性のある学生に“どれだけ魅力のある仕事”かということを伝える義務があると思う。しかし現実には学生の受入や職員教育は“担当者?任せ”という状況が多い。(※現場の職員がこの実習の意味を意識化して業務することは困難だということは理解できるのだが.......)
そこで2年前から実習指導者や各現場での受入担当者で“実習委員会”を設置して取り組んでいるのだが、そこでも話題になるのは“学生に何をどう伝えるかが難しい”ということ。ようは指導者や担当者自身が社福士の役割や求められる姿を把握していないことや、実際に入所施設のソーシャルワーク業務が“どういうことなのか”という“業務整理がされていない”ことが入所施設の一番の問題だと思われる。
漫然と学生を受け入れて、日常のルーチンとなっている介護介助業務を4週間もさせているような実習先が多いと某福祉大学の教員から聞いたことがあるが、障害者施設にはそれ以上に“人”として生活する上で涵養されるべき倫理や価値観に触れる場でなければならないと思う。
実習受入領域の別によっては、実習生も“即戦力”としての能力を求めるところもあるようだが、それは現場実習に求められることではない。この実習を通して学生が“何を感じて”“どのように考えたか”それを確認する機会としての実習でも十分に価値はあるのではにだろうか。
学生の能力や社会人としての成熟度をはじめから評価の基準として設定していこうとする向きのあるが、それにも些か疑問を感じるところがある。私自身も何人もの学生と関わる中で気づかされたことが沢山ある。いわゆる専門職として持っていた仕事に対する見識も、実はノーマルな生活を考えるとき、本人の気持ちを考えるとき、果たして“それが当たり前”と云えるものではない“ずれ”を持っていることがある。学生の素朴な疑問に答えを窮するような場面が有ったときなど、自分自身にも新たな“気づき”を与えてくれる。
お盆明けにはまた、新鮮な気持ちで社福士を目指す学生に会えることが楽しみだ。
これまでも何点かの課題を抱えながら携わってきたが、施設=組織として学生を受け入れることに意義を見いだしているかといえば疑問の残るところ。“そんなことに執着している暇はない”と云う管理者からは、自ら職員養成・教育の責任を放棄している様子が伺われる。スタッフ養成や施設の社会的意義を再認識するには、いずれこの業界に来る可能性のある学生に“どれだけ魅力のある仕事”かということを伝える義務があると思う。しかし現実には学生の受入や職員教育は“担当者?任せ”という状況が多い。(※現場の職員がこの実習の意味を意識化して業務することは困難だということは理解できるのだが.......)
そこで2年前から実習指導者や各現場での受入担当者で“実習委員会”を設置して取り組んでいるのだが、そこでも話題になるのは“学生に何をどう伝えるかが難しい”ということ。ようは指導者や担当者自身が社福士の役割や求められる姿を把握していないことや、実際に入所施設のソーシャルワーク業務が“どういうことなのか”という“業務整理がされていない”ことが入所施設の一番の問題だと思われる。
漫然と学生を受け入れて、日常のルーチンとなっている介護介助業務を4週間もさせているような実習先が多いと某福祉大学の教員から聞いたことがあるが、障害者施設にはそれ以上に“人”として生活する上で涵養されるべき倫理や価値観に触れる場でなければならないと思う。
実習受入領域の別によっては、実習生も“即戦力”としての能力を求めるところもあるようだが、それは現場実習に求められることではない。この実習を通して学生が“何を感じて”“どのように考えたか”それを確認する機会としての実習でも十分に価値はあるのではにだろうか。
学生の能力や社会人としての成熟度をはじめから評価の基準として設定していこうとする向きのあるが、それにも些か疑問を感じるところがある。私自身も何人もの学生と関わる中で気づかされたことが沢山ある。いわゆる専門職として持っていた仕事に対する見識も、実はノーマルな生活を考えるとき、本人の気持ちを考えるとき、果たして“それが当たり前”と云えるものではない“ずれ”を持っていることがある。学生の素朴な疑問に答えを窮するような場面が有ったときなど、自分自身にも新たな“気づき”を与えてくれる。
お盆明けにはまた、新鮮な気持ちで社福士を目指す学生に会えることが楽しみだ。
考:社会福祉援助技術現場実習
通信制専門学校の現場実習には常に苦慮する。
福祉系大学の学生に比して基礎学習は足りず、実習そのものが受験資格を得るための“こなし実習”でしかないケースが多い。
なかには“自分の単純な思いでは通じない、もう一度良く考え直してみたい、良いきっかけになりました。”と現実を直視して実習を終える学生もいる。しかし今回の実習生には福祉のビジネスモデルをどう探っていくかと云う意識だけが透けて見えるのだ。
その動機を否定するつもりは全くありません。これから先はそうした活力が当事者の生活を変革していくことになるでしょうから。ただその前にこの方たちを正しく理解する必要があると云うことに気づいてほしいのですが如何ですか?
この学生に何を どう伝えるのか........
送り出してきた学校はこの学生をどうみているのか.........
色々な課題が交錯しているケースであるが、受け入れる側の立場としては非常に悩ましい実習だ。
福祉系大学の学生に比して基礎学習は足りず、実習そのものが受験資格を得るための“こなし実習”でしかないケースが多い。
なかには“自分の単純な思いでは通じない、もう一度良く考え直してみたい、良いきっかけになりました。”と現実を直視して実習を終える学生もいる。しかし今回の実習生には福祉のビジネスモデルをどう探っていくかと云う意識だけが透けて見えるのだ。
その動機を否定するつもりは全くありません。これから先はそうした活力が当事者の生活を変革していくことになるでしょうから。ただその前にこの方たちを正しく理解する必要があると云うことに気づいてほしいのですが如何ですか?
この学生に何を どう伝えるのか........
送り出してきた学校はこの学生をどうみているのか.........
色々な課題が交錯しているケースであるが、受け入れる側の立場としては非常に悩ましい実習だ。
スーパーバイザーとしての資質と資格
先週、旧知の大学教授から電話があった。
社福士の援助現場実習に関してのことだったが、話の内容を聞いて愕然としてしまった。
地元の児童施設を希望して事前実習に出かけたところ、そこの実習指導担当者(※当然、社福士資格は持っていないらしい)は受入を忘れていたうえに実習種別すら把握していなかったとのこと。
更に児童施設を希望して出かけている学生に対して“児童相談所に1週間行ってもいいんだよ”と、自らの指導責任を回避するかのような発言。極めつけは学生が実習課題を伝えようとすると“あっそ”との一言で終わり、1週間の事前訪問が殆ど施設内の掃除や雑務で終わったと学生は落胆していたのだと...........
ここで問題なのは
なぜそのような(実習マネジメントが出来ない)人物が実習指導の責任を負っているのか?
その施設=組織としての認識はどうなっているのか?
指導者として不適切な言動や行動をとる一職員の存在によって、その施設自体の社会的評価や信用がどれほど低下するかを考えたことがあるのだろうか?
“もし、学生がもう一度実習先を考え直しても良いなら私に指導させてください”と伝えた後、その指導者なる職員がどんな態度で学生に接しているのかを想像し、とても腹立たしく怒りさえ感じるものであった。
社福士の援助現場実習に関してのことだったが、話の内容を聞いて愕然としてしまった。
地元の児童施設を希望して事前実習に出かけたところ、そこの実習指導担当者(※当然、社福士資格は持っていないらしい)は受入を忘れていたうえに実習種別すら把握していなかったとのこと。
更に児童施設を希望して出かけている学生に対して“児童相談所に1週間行ってもいいんだよ”と、自らの指導責任を回避するかのような発言。極めつけは学生が実習課題を伝えようとすると“あっそ”との一言で終わり、1週間の事前訪問が殆ど施設内の掃除や雑務で終わったと学生は落胆していたのだと...........
ここで問題なのは
なぜそのような(実習マネジメントが出来ない)人物が実習指導の責任を負っているのか?
その施設=組織としての認識はどうなっているのか?
指導者として不適切な言動や行動をとる一職員の存在によって、その施設自体の社会的評価や信用がどれほど低下するかを考えたことがあるのだろうか?
“もし、学生がもう一度実習先を考え直しても良いなら私に指導させてください”と伝えた後、その指導者なる職員がどんな態度で学生に接しているのかを想像し、とても腹立たしく怒りさえ感じるものであった。
テーマ : 現場職員のぼやき・悩み
ジャンル : 福祉・ボランティア
国試ごくろうさん
社会福祉士介護福祉士の国家資格試験を受験された方々ご苦労様でした。
あの緊張感は何度も味わうものではないですね。
そういう私も社福士・ケアマネ・精福士と過去3回受験しましたが、いずれも試験会場を誰よりも早く退出しました。周りはみんな問題を見返したりしていたようですが、あの緊張感に耐えきれず回答をし終えたら速攻で教室を出ていました。その時間になるまでの数分間の鼓動が今思い出してもたまらないですね.......
受験するからには資格取得を目指すのでしょうが、
その意義は?
ここが問題です。その資格をどう活かすのか?
社福士の資格は基礎知識の裏付けであってそれを日々の実践でどのように検証していくのか?
資格を取得したとしてもそれはSwrとしての“人柄”や“実践力”の評価ではありません。
今回受験したうちの若者にはそのことを伝えたいのですが........
資格取得はなんのため?
あの緊張感は何度も味わうものではないですね。
そういう私も社福士・ケアマネ・精福士と過去3回受験しましたが、いずれも試験会場を誰よりも早く退出しました。周りはみんな問題を見返したりしていたようですが、あの緊張感に耐えきれず回答をし終えたら速攻で教室を出ていました。その時間になるまでの数分間の鼓動が今思い出してもたまらないですね.......
受験するからには資格取得を目指すのでしょうが、
その意義は?
ここが問題です。その資格をどう活かすのか?
社福士の資格は基礎知識の裏付けであってそれを日々の実践でどのように検証していくのか?
資格を取得したとしてもそれはSwrとしての“人柄”や“実践力”の評価ではありません。
今回受験したうちの若者にはそのことを伝えたいのですが........
資格取得はなんのため?